日本のものづくりの未来図:「稼ぐ力」の源流とDXが織りなす新時代 ~2025年版ものづくり白書から~
毎年公表される「ものづくり白書」。これは経済産業省(産業振興)、厚生労働省(雇用・労働)、そして文部科学省(人材育成)という、性質の異なる3省が共管する、他に類を見ない報告書です。
単に「儲かる産業」を育てるための経済政策文書ではなく、日本の「ひと」を育て、その「しごと」を守り、国全体の「ちから」をどう未来へ繋いでいくかという、国家の根幹を問う総合戦略と言えるでしょう。
今年の白書が浮き彫りにするのは、我々が直面する構造的で待ったなしの課題と、その処方箋としてのデジタルトランスフォーメーション(DX)の緊急性です。
課題は複合的ですが、DXに着目すると大きく3点に集約しています。
第一に、「ビジネスモデルの陳腐化」
高品質・高機能な製品を大量生産し、販売すれば利益が上がるという20世紀の成功方程式は、もはや通用しません。顧客の価値観は「所有」から「利用」へとシフトし、製品そのものよりも、それを通じて得られる体験やサービス(コト)に価値を見出す時代へと変わりました。この変化に対し、多くの企業が「売り切り型」のビジネスから脱却できずにもがいているのが現状です。
第二に、「人手不足と技術承継の危機」
少子高齢化の波は、特に製造現場を直撃しています。かつて日本のものづくりを支えた「匠の技」を持つ熟練技術者たちが次々と引退し、彼らの暗黙知、すなわち言葉やマニュアルでは伝えきれない勘や感覚といった貴重な資産が、継承されることなく失われようとしています。これは、ものづくりの魂そのものが揺らぐ、静かなる有事と言っても過言ではありません。
第三に、「デジタル化の遅れと、それに伴う新たなリスク」
驚くべきことに、多くの中小企業間取引では未だにFAXや電話が主役であり、サプライチェーンは分断されがちです。個々の企業が最適化されていても、全体として繋がっていないため、非効率と機会損失が蔓延しています。その一方で、工場がインターネットに繋がる「スマートファクトリー」化を進めれば、今度はサイバー攻撃という新たな脅威に晒される。攻めのDXと守りのセキュリティ、この両輪を同時に回すという難しい舵取りが迫られています。
これらの根深い課題を乗り越えるキーワードとして、白書は「稼ぐ力」の再構築を訴えます。
ここで「稼ぐ」という言葉の語源を辿ると、非常に示唆に富んでいます。一説には、かつて日本の近代化を牽引した製糸業で、生糸を一定量巻き取って束ねた単位「綛(かせ)」にあると言われます。この「かせ」の数が工場の生産高であり、そこで働く女工さんたちの賃金を直接左右する出来高でした。「かせ」を作り、数を増やすこと、すなわち「かせぐ」とは、自らの労働の価値を具体的な対価に変えるための、切実で力強い営みだったのです。
この語源は、現代の製造業が向かうべき道を照らしています。一本一本の細く頼りない生糸も、丁寧に束ねて価値ある「かせ」にして初めて報酬に繋がったように、個々の優れた技術や高性能な部品も、それ単体ではもはや十分な利益を生み出せません。それらを繋ぎ合わせ、サービスやソリューションという新たな価値の束にしてこそ、現代の「稼ぐ力」となるのです。そして、この「繋ぎ、束ねる」営みこそ、ITとデジタルの真骨頂です。
IoTとAIは、製品を「稼ぐ道具」へと変貌させます。建設機械に搭載されたセンサーが稼働データを収集・分析し、燃費の良い運転方法を提案したり、最適なメンテナンス時期を通知したりする。これはもはや機械を売っているのではなく、「効率的な現場作業」という価値(コト)の提供に他なりません。
人手不足と技術承継の問題にも、AIとロボティクス、そしてAR/VR技術が応えます。熟練者の目に頼
高精細カメラとセンサーがデータとして記録し、ARゴーグル越しの若手技術者の視界に、仮想のお手本として表示する。これにより、技術は個人の身体から解放され、組織の資産としてデジタル空間に保存・継承されていくのです。これは、もはやSFではなく現実の風景です。
分断されたサプライチェーンは、クラウドを基盤としたデータ連携プラットフォームによって、しなやかで強靭な一本の鎖として再編成されます。設計データから部品の在庫、配送状況までがリアルタイムで共有されれば、ある企業の設計変更が、瞬時に末端の部品メーカーの生産計画にまで反映される。まさに、デジタルが実現する究極の「かせ」作りです。
3省が連携し「ものづくりの未来」を語るように、企業もまた、業界の垣根を越えて繋がり、データを共有し、新たな価値を束ねていく時代が到来しました。かつて女工さんたちが一本の糸から日本の未来を紡いだように、今、我々はデジタルという新たな糸を手にしています。この糸を使い、日本の製造業を次の時代へと導くための、新たな価値という名の布を織りなしていく。白書が示すのは、そのための壮大かつ緻密な設計図なのです。